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■香港映画単独コラム


洪金寶(サモ・ハン・キンポー)という男 【03/5/16】
今週号の表紙

特に彼が功夫映画を量産しまくった時代に注目して語ってみたい。
あくまでジャッキーが言うにはだ。
幼き少年から青年になるまでの洪金寶は
・武芸の力強さは天下一品
・お山の大将でジャイアニズムも高い
・ただし目をかけた後輩の面倒はちゃんとみる
ジャッキー自伝によればジャッキー自身少年時代は洪金寶をほとんど慕っていないどころかむしろ憎しみの感情が強い。これはジャッキーも十分我が強かったというのもあるし、洪金寶側からのヒストリーを詳しく伺えなければはっきりとどうのこうの言えないし言わない。
(ジャッキー自伝「Iam Jackie Chan」はほとんどが正直にたっぷりと書かれており、とても良い半生本だが、あくまで本人主観の価値観での表現なので、そのまま盲信は個人的には出来ない)

その後、

洪金寶は練習中に足を怪我で入院
   ↓
入院中に食べまくり
   ↓
デブゴンの原型を形成
   ↓
太った体格の影響で劇団を退団、映画界に

という流れになるとある(ここまで受け売り)。当時の本人の苦しみ、
・体格によって京劇が納得いく形で出来なくなったこと
・退団後に1人で生きていかなければならなかったこと
・お山の大将ではなくなったこと

この辺を詳しく語っている資料は持ち合わせていないが、その苦しみは想像するに容易であるし、絶するのかもしれない。

ただし、洪金寶がジャッキー他の七小福よりも先に映画界入りしたことは後の七小福映画界入りに多少なりとも影響を及ぼしたことは間違いない。
やがて洪金寶は当時武術指導家というか「武術指導」という単語を定着させたということでも第一人者である韓英傑の助手を務める。
ここで殺陣師としての基礎をみっちり学んだのは言うまでもないし、憶測だけど韓英傑が洪金寶の才能を見いだして助手にしたことも恐らくだろう。この辺の洪金寶の姿は「侠女」('71)で観ることが出来る。現実と同じく韓英傑の手下役であるのも面白いし、まだまだ少年の顔だ。
ただし、この少年・洪金寶が「侠女」と同時期(たぶん「侠女」の後に)に「奪命金剣」('71)では既に
「武術指導 朱元龍(洪金寶の旧名)」
の看板を張っているのだ。武術指導はアクション場面での監督、さらにそこに登場するスタントマン・端役の割り振り、あわよくば演出そのものさえも揺るがそうかという功夫映画では強い権限を持ったポジションである。

お山の大将リターンズ!
「これこそ俺の天職だ!」
そう思ったかどうかは知らないけども、洪金寶はその実力で以前の

劇団
師匠 于占元
お山のボス 俺様
子分 元彪、ジャッキー、元華、元奎などなど
   ↓
映画界
師匠 韓英傑、そして胡金銓、黄楓監督など
お山のボス 俺様
子分 書ききれないほどたくさん

とこのように似たような環境をゲットしたわけである。

やっぱりその運命を持つ人は努力によってちゃんと運命をモノにするんだなぁ・・・ と感心する一方で驚きはジャッキーだ。彼の初武術指導作は「順天立地/北派功夫」そして「女警察/師妹出馬」。なんと製作年度は「奪命金剣」と同じ1971年。
サモハンが高いライバル意識を燃やしたかどうかは知れないが、やはり七小福のメンバーが映画界においても非常に高いレベルにあったことが伺い知れる。ただし、ジャッキーの場合は小さな独立プロ(ギャラも払えないよな)での武術指導であり、サモハンはゴールデンハーベストといった比較的大手(李小龍出現後は一層)にいたことで、出来た取り巻きの数も比ではなかっただろう。

李小龍死後、
ゴールデンハーベストにて下火になった功夫映画をひたすら盛り上げようと奮迅していたのも洪金寶に他ならない。

・武術・スタントだけしか能のない
・いや他に能があっても上には「ある」と認められない
このような人達がこぞって洪金寶が武術指導として携わる映画にくっついてきている。そしてほとんどの人が一本立ちしているところも見逃せない。「四大門派」で武術指導を務める辺りでは既に観る限り、洪金寶の武術指導家としてのクオリティが ショーブラの劉家良や唐佳、袁家班に匹敵するものであることは十分証明しているし、勿論「死亡遊戯」での成果、胡金銓監督の「忠烈圖」での十分な功績もある。 その才能が初監督作を射止めるのは明らかだったろう。

「三徳和尚與春米六」。
初監督作であるこの作品は処女作にして十分なヒットを飛ばす。タイトル通り三徳和尚(陳星)と春米六(洪金寶)の2人がダブル主役。サモハン独自の製作傾向が強くなっていくのは、この後からである。

■コンプレックスとお山の大将

ここからの洪金寶作品はほとんどが「洪金寶と誰かのダブル主演」となっている。一見、 これはどうしたことだ?お山の大将は1人で十分じゃないか!
と思いたくなるよな製作傾向だが、実はこれこそが洪金寶の本質を突いた傾向だと私は思う。
これがジャッキーだったらどうだろう。それは初監督作である「笑拳怪招」を観れば明らかだ。映画を彩る美人女優もいなければ格好良いライバルも存在しない。この映画にあるのは徹底したジャッキー1人の魅力であり、対峙する絶対的な悪だけである。自分の手による自分の映画をやっと作れたんだもの。長い束縛から考えれば至極当たり前とも言える。

対して洪金寶作品、洪金寶が製作者側の中心となって作った功夫片はどれも何故か変則的で面白い傾向にある。李小龍を愛着込めてパロった「肥龍過江」、初期主演作の「臭頭小子」、袁家班とコラボレーションな「林世榮」を除けば 他は全て単独主演作ではないのだ。

「贊先生與找錢華」
タイトルの贊先生は梁家仁が、找錢華は〔上下〕薩伐が演じており、洪金寶は贊先生の単なる弟子役でしかない。実質的な主役はタイトル通り梁家仁と〔上下〕薩伐であり、役柄だけで言えば洪金寶は三番目の準主役である。

「搏命箪刀奪命槍」「老虎田[奚隹]」
どちらとも劉家榮とのダブル主演でありピンではない。

「雜家小子」
もちろん元彪主演で洪金寶はサポートする助演。

「醒目仔古惑招/肥龍功夫精」
題名に「肥龍」とあるが、実際は董〔王韋〕主演で洪金寶は助演。

「用牙老虎」
袁順義主演で洪金寶は助演。

「身不由己」
冒頭は洪金寶主演で話が進んでいるのだが、中盤以降はどう考えても梁家仁主演。

「戌魚翻生」
石天とのダブル主演でありピンではない。

「敗家仔」
これは恐らく元から元彪主演。(どれがどの順番で作ったかはっきりしてなくてすんません)

これがジャッキーだったら全部の作品がピンで主演してたに違いない。 逆に洪金寶は見事なほどピンで主役を演じていない。
これは何故か?
色んな見方があるが大きく分ければ2つだと思う。

・後輩の面倒
・自分の見た目、技術的な問題

後輩の面倒をみるのは洪金寶の真骨頂(?) 彼を実際に慕う人が多かったというのは洪家班付近から出ていった映画人の多さを考えれば一目瞭然である。初期にテコンドーファイターの〔上下〕薩伐に目を付けたのも洪金寶であれば、ちゃんと彼に「贊先生與找錢華」の主役を与え、アクション的な見せ場も十分すぎるほど作ってくれてもいる。元彪も元華も林正英も鐘發もさらには違う畑の袁順義までも面倒見るかといった位に洪金寶の幅はひろーく見える。
ただ同時にこんな印象も映画から見て取れる

・売れる映画を作るためには自分だけでは不十分だ
・言い換えれば俺は「勘違い」をしていない

既にスターである自身より若手を数多く起用したのも、弱気と言うよりもコンプレックス、 本人にしてみれば冷静な自己認識と言えるかも知れない。(観てるこっちは全然そんなことなくとも)
嫌味な言い方をすれば 「後輩を立てて」を建前に「自分に格好良い役は似合わない」のでそれは余り出したくない。この辺の功夫片で全て彼がコメディキャラを演じているのも証明に近い。

洪金寶はお山の大将でありながら裸の王様になるような男ではなかったのだ。

以上のことから導き出されるのは現場を取り仕切る人間でありながら、
人としての謙虚さはちゃんと持っていた
これに間違いなければ、それはお山の大将ではなく純粋に尊敬に値する人物である。
「プロジェクトA」を抜いて大ヒットを飛ばした「五福星」(香港で)やそれに続くオールスターの福星シリーズ、そして「上海エクスプレス」など
・オールスターを呼べたこと来てくれたこと
・それを大ヒットさせたこと
何故それが出来たか、本当に香港映画界のボスとなりつつあった、そして何故ボスになれたのか?この辺の要因も容易に想像がつく。

「五福星」の劇中にて洪金寶が鍾楚紅につぶやいた台詞を思い出してほしい。

「ガキの頃は大将で威張り散らしてたわけ。そしたらさ、友達誰もいなくなっちゃって、誰からも相手にされなくなっちゃったの。だからさ、無理に強いとこを見せたり、威張ったりすることは止めたんだ。」

その通りだろう。

勿論、これ以降にもジャッキーとの確執や元夫人と高麗虹の問題などはあった。 ただ、洪金寶が勘違いも天狗にもならずに堂々と慕われてボスになったことは間違いなかった、そのような素晴らしい人間であるということを信じたい。


タキシードを脱げ 【03/7/21】

------これを着ると、もう誰にも止められない!止まらない!
----ならば、あなたの手で脱いでくれ。


ジャッキーのインタビューでは既に15年以上になろうかとするお馴染みのセリフがかなりの確率で登場する。それは、
「あと4年で引退する」
「あと2年で引退する」
といった具体的な年数を提示した引退宣言だ。
今まで何度聞いてきたことだろうか。
これはジャッキーが既に15年以上も前から己の限界を感じていたからに他ならない。同時に自身の映画制作予定を考えた具体的な年数を挙げて、
「ここまでは頑張るから、後は好きにやらせてくれ」
と、常にアクションを求めるファンを急に止めることでガッカリさせないようにしている計らいでもあるだろう。

で、見ての通りジャッキーは未だ現役のアクションスターである。

これだけ何度も何度も引退宣言をしながら止められないのは何故なのか?
その答えが「ファンが求めているから」の一言であることは容易に想像がつくだろう。しかし、しかし、彼の人生は彼の人生。彼が決めることは誰にも止める権利は無い。彼が止めたい時に止めるのは当然の権利だ。

ならなぜ止めないのか?

私はここに新たな可能性と迎えるべきでない将来の2つを感じている。



「プロジェクトA」('83)から始まった、いわゆる"ジャッキーによるジャッキー映画"は「レッドブロンクス」('95)でやっとハリウッド全土に認められることになる。もし「プロジェクトA」や「ポリス・ストーリー/香港国際警察」('85)で認められていれば・・・と考えるのは今となってはあまりに野暮だ。歴史は不可逆なのだから。ただし、12年かけて見つけて駆け上がったハリウッドスターへの階段の先に待ち受けていたものはなんだったか。

「ラッシュアワー」('98)
「シャンハイヌーン」('00)
「ラッシュアワー2」('01)

これらハリウッド製のジャッキー作品は長年彼を親しんできた私達にとって"ジャッキー・アクション焼き直し"の作品であり、それ以外のハリウッド映画の妙味を併せ持って、
"まぁまぁ面白かった"
の感想を持たせるだけの映画ではある。
スクリーンに登場するジャッキーからはとにかく"映画を楽しもう"といった姿勢が感じられるし、お馴染みのNG集も付いてはいる。

しかし。しかし、
見直すとどれもこれも"乾いた笑顔"にしか私には見えないのだ


昔、数年の時を経てえらく驚いたことがある。
「キャノンボール2」('83)を撮影していた当時、日本で発刊された"ジャッキー特集号"での贅沢な撮影とバカンスを楽しむジャッキーの姿。そこには屈託の無いジャッキーの笑顔が写し出されている。
が、数年後にジャッキーは
「こっちの映画の撮影準備もあって忙しいのに全く行きたくなかった。契約があるから仕方なしに行っただけだよ。」
とはっきり答え、
「じゃ、あの笑顔はなんやったのよ!」
と僕をびっくりさせた顛末である。

この時の彼の笑顔とハリウッド映画で見せる彼の笑顔。
何が違うと言うのだろう。

前置き的話ばかりで恐縮だがもうちょっと続けたい。

「ラッシュアワー」が大ヒットした数年後にジャッキーはハッキリ言った
「あの映画はどうしようもない」と。
「タキシード」公開後に雑誌インタビューでジャッキーはハッキリ言った
「ドリームワークスから学んだことは無かった」と。

翻って香港に凱旋して撮った「アクシデンタル・スパイ」('00)は決してジャッキーの笑顔がたくさん観れるような作品ではなかった。サスペンス風味であることとヒロイン(徐若〔王宣〕)の死が影響しているのだが、そもそも何故今まで明るい映画ばかり撮ってきた彼がこの作品を選んだのか。ハリウッドとなぜこんなに違うのか。

相違の先に可能性が見えてくる

そう。
一番気づいているのはジャッキー本人なのだ。
今ハリウッドで出演している映画が"そこそこ"の出来でしかないということ
過去の自分の作品に全く追いついていないということ
だからこそ彼は自由に撮れる香港で今までを倣ったような映画に走らず、新たな可能性を探す-------------

しかしそれでも彼はハリウッドで映画に出続ける。なぜか?
そして前述のなぜアクションを止めないのか?

2つの答えをまとめるとこうなる(長いけど)。
「プロジェクト・イーグル」('91)を最後にジャッキーは監督業を止め、他の香港映画人の力を借りて様々な映画を作ることに精力を注いだ。それは自身のワンマン映画に限界を感じていたからに他ならないが、その"ワンマン映画の限界"というものを占める大部分が"限界を感じていたアクション"ではなく、"ドラマの演出力"であった---と私は思う。
その証拠に「酔拳2」('94)でのアクションを巡っての二度に渡る監督交代劇、ラストのアクションが全てジャッキー監督の手によるものであったこと、「ツイン・ドラゴン」('92)「シティハンター」('93)2つのクライマックスのアクションがどう見ても徐克でも王晶でもなくジャッキー監督の演出であったことからも

アクションに関しては幾らでも演出できるよ

ということが見て取れる。
「ラッシュアワー」「シャンハイヌーン」「ラッシュアワー2」ではさすがに"自身の衰え""ハリウッドの制約"も相まって、クライマックスになってジャッキーがメガホンを奪い取る、なんてことは出来ないが、それでも彼は出演し続ける。

模索しているのだ。彼は。

"つまらない"とわかっているハリウッド映画にも出演し続け、クライマックスになるとメガホンを奪い取りたくなる気持ちを封印して、新たなるジャッキー映画の可能性のために論理の肉付けを行っているのだ。

「タキシード」公開後に雑誌インタビューでジャッキーはハッキリ言った
「ドリームワークスから学んだことは無かった」と。

学ぼうとしているのだ。
過去の自分の作品を栄華を追い越し、"ここに新たなジャッキーあり!"
と示せるような映画、そしてその映画作りのノウハウを築き上げようとしているのだ。
「ラッシュアワー」「シャンハイヌーン」、2作に出演した後にジャッキーが香港で撮った「アクシデンタル・スパイ」。これはそのような映画に成り得たか?
残念ながら成り得てはいない。そのような映画はまだこの世に表れていない。だからこそその後もハリウッドに出続けているのだ。


今のジャッキーは常に新ジャッキーを生み出そうともがいている

だからこそ私は
「十分楽しませてくれたから、好きなようにやってくれ」と思うのだ。
言葉足りなで申し訳なかったが、"好きなようにやってくれ"とは
「好きなように模索を続けてくれ」ということなのだ。
決して、
「楽しませてくれたから、残る余生、好きに暮らせぃ」
などと思っているのではない。

俺は・・・・・・
俺は
彼がこのまま毎年毎年出すアルバムの曲の全てがボーナストラックで終わっていく
そんな滑稽なスターのままヘナヘナとしなっていくだけの男ではない!





















・・・・・・と信じたいのだ。
愛しているのだ、彼を。




■タキシードを脱げ

このタイトルに触れるのはここからだ。

「タキシード」('02)を観た。
今までの「ラッシュアワー」「シャンハイヌーン」「ラッシュアワー2」と分けて書いているように、この映画は今までのハリウッドジャッキーとは違う。
何度もなぞられている脚本でありながら非常に夢のあるお話だったし、決して"面白くなかった"が感想の主ではない。しかし、

新しいジャッキーの在り方が自身の思惑と全く違う方向に向かっているのではないか?

私の頭からは上映中もそういう不安が頭を離れず、映画を全く楽しめなかった。

"ここに新たなジャッキーあり!"
本当にこれを示したいのであれば現状の映画作りでいいのだろうか。

「タキシード」劇中でタキシードを着たジャッキーはタキシードの言われるがままに、ダンスをし、駆けずり回り、敵と戦った。
新作の「メダリオン」では(これは予告編だけの話ではあるが)今流行のワイヤーアクションを使ってジャッキーが李連杰やキアヌ・リーブスをなぞっている。あの李連杰黄飛鴻がスクリーンに姿を現す直前、監督である徐克に
「英雄である彼をワイヤーで空を飛ばすような真似はしないでくれ!」
そう懇願した彼が今では、そのワイヤーに倣っている。
(※ここでのワイヤー使用はあくまでそれらの流行に準えているということであり、もちろんこれまでもジャッキー映画にワイヤーは欠かせないと言っても全く構わない。ただ、使い方が絶対的に違うのだ。)

・・・ハリウッドからの要望、契約、そして流行。それに合わせた映画作りに変わっていくのは仕方のないこと・・・・・・
私は過去にジャッキーが主演した映画で似たような状況で作られた映画を2つ知っている。
それは「新精武門」('76)と「バトル・クリーク・ブロー」('80)だ。


「新精武門」は李小龍を模倣した映画であり、
「バトル・クリーク・ブロー」はまさに"ハリウッドに組み伏せられた"映画である。


ジャッキー。
これら2つの映画はどっかで成功をもたらしたのかい?
これからも"他の誰かが流行らせているから"そんなもんを頼りにスターを続けていくつもりかい?
あなたが作った数々の傑作は本当にそんなところから生まれたのかい?

李連杰黄飛鴻がスクリーンに姿を現す直前、ジャッキーが懇願したように私はジャッキーに懇願したい。
「英雄であるあなたがワイヤーで空を飛ぶのなら役者を引退をしてくれ!」
--------と。


私の言う"引退"とは終焉を意味しているのではない。
このままカナダの山奥に引っ込めてしまうようなそんな意味で"引退"と言っているのではない。極めて前向きな"転職のススメ"をしているつもりであり、そのススメとは"役者ではなく完全に製作者となること"である。

一度スターが作った功績をさらに塗り替えるのは途方も無く難しいことだ。ジャッキーに限ったことではなく、シュワちゃんは今年も相変わらずターミネーターだし、数々の路線変更作品を打ち出しながら未だに過去の成功を超えられずにいるスタローンのイメージはボクサーかソルジャーだ。

だが製作者の立場で新たな役者を使い、"スター・ジャッキー"が出ない映画であれば今までのジャッキーの枠、それはある意味足かせであった"ジャッキー映画のルール"
・勧善懲悪であること
・酒やドラック、タバコを目立たせないこと
・暴力的でないこと
・SEXシーンもないこと
・そして、ジャッキーが正義の味方であること
これらも取っ払って自由に映画を作ることが出来るのではないか。役者側ではなくクリエイター側の立場から"新たなジャッキー映画"を示せることに可能性があるのではないか。


今こそハリウッドというコンピュータに操られたタキシードを脱ぐべきだ。シアトルでプレミアもしたし、賞も取ったし、大ヒットも飛ばした。いつまでもタキシードの言うがままに踊らされる必要は無いのだ。観てる僕らが感じたし、あなた自身も言っていたじゃないか。
"タキシードを使わなくたって蹴りを放つことは出来る"と。

勿論、簡単なことではない。
どっちにしても絶対王権であるハリウッドでの製作は難しいし、香港映画は大不況。出資してくれるスポンサーをかき集めるだけで一苦労も二苦労もするであろう。
だが、今のままのジャッキー映画が続くのであれば私は製作者側にまわる方がよっぽど可能性があると思っているのだ。

"休ませてあげてよ"
そんなファンの思いもあるかもしれない。もちろん、私だって彼には長生きしてほしいし、十分なバケーションのインターバルを取ってもらってリフレッシュしてもらいたい。
だが、完全に映画作りを止めてほしいとは願っていない。彼の年齢を思い出してほしい。彼はまだ49歳である。まだまだ縁側でお茶をすするような年齢ではない。
それに私は彼が映画作りを止めたらそれこそ死んでしまうのではないか?
とさえも思っている(これについては示すべき根拠も浅すぎるので深くは論じない)。


「マイストーリー」で彼は言った。
----80歳になった時、「あれがワシじゃ」と劇中の自分を指差したい----
と。
その指差す映画が「プロジェクトA」や「ポリス・ストーリー」だけでなく、後年の映画も堂々と指差せていることを切に願いたい。

本当に難しいことだ。
でも、
でもビートルズの最後のアルバム「LetItBe」は駄作だったのか?
心に残る曲など1つも無かっただろうか?
その後のポール・マッカートニーは確かに後世に残る名曲を残していないかもしれない。でもジョンは?ジョン・レノンは?---------------------


もし彼が現在、
「もう出来ないんだ、こんなのを続けるしかないんだ。」
そう本当に思っているのなら、
私はジャッキーのことに関しては静かにペンを置こう。

 

タキシードを脱げ


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