功夫
Kung Fu Hustle
カンフーハッスル
■
さて、めでたくDVDも発売されたということで改めてレビューしてみましょうか。今回は長文になるでしょうな・・・いやならんかもな・・なるかもなとこうやって下らない余分を書きながら色々と思いつくまで待つってのもあるんだな。でも今回はホイホイ出てくるのでそう考えなくても良いのだがまぁせっかくのシンチー大作なので、こっちの文章も長めに用意したいところであります。
ありますが!
諸々のHPで既にいわゆるインフォ的な部分は言われちゃったりしちゃったり。
火雲邪神に扮しているのは梁小龍(ブルース・リャン)という俳優で・・・
「知ってるよ」
となっちゃうよね。それじゃ書いてる甲斐も無い。
まぁそれでもなんですか、
本作登場の敬愛する功夫人を紹介しないわけにはいかぬ。その活躍は作品レビューリンクをつけたのでそっちでご確認を。
そして「香港電影的日常」でのfakeさんが書かれた特集も是非お読みください。
お読みくださいと言った意味はリスペクトなシーンのほとんどを網羅されてらっしゃるという意味もありますが、本当の意味はこの文章の最後の方で語ります。
■元華(ユン・ワー)
(画像は「少林傳人」('82)より)
大家の旦那役。
日本での知名度は一番かな。「サイクロンZ」「ポリス・ストーリー3」ビデオ発売のみではあるが「イースタンコンドル」と彼が個性的な役柄で出演している代表作は皆紹介されているからね。
【主な彼の出演作レビュー】
※わかりにくいのは説明つけてみたがあんまわからんな
「ドラゴン怒りの鉄拳」('72)
中国人が入れない公園の前で李小龍(ブルース・リー)に飛び蹴りくらう役
。
「燃えよドラゴン」('73)
冒頭のリンゴキャッチシーンでリンゴを受け取る一人。
それよりもサマーソルトキックを披露したのは彼。
「忠列圖」('75)
やられ役。
「必殺!少林寺武芸帳」('77)
やられ役。
「三少爺的劍」('77)
冒頭に爾冬陞(イー・トンシン)を傷つける役。
「楚留香之二蝙蝠傳奇」('78)
聾唖の従者役。美味しい役どころ。
「笑傲江湖」('78)
中盤で汪禹(ワン・ユー)と戦う一人だと思うのだが、画質が悪くてはっきりせず。
「少林傳人」('82)
冒頭の美味しい役どころ。
「大福星」('85)
劉家榮(リュー・チャーヨン)の代わりにガラステーブルに後頭部から突っ込むスタントを披露。顔見せは無し。
「ファースト・ミッション」('85)
ジャッキーの仲間の刑事。
若き日の彼の美味しい役柄。
「霊幻道士」('85)
最強キョンシー(笑
「イースタン・コンドル」('87)
「上海エクスプレス」('86)
「オン・ザ・ラン
非情の罠」('88)
「サイクロンZ」('88)
「タイム・ソルジャーズ/愛は時空を超えて」('89)
「スウォーズマン 剣士列伝」('90)
「サンダーボルト〜如来神掌〜」('90)
「香港魔界大戦」('91)
「衛斯理之覇王卸甲」('91)
「ポリス・ストーリー3」('92)
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ外伝
鬼脚」('93)
「暗黒街/若き英雄伝説」('97)
やっぱたくさんあるなぁ。
■梁小龍(ブルース・リャン)
本作と凄い違いですな
最強の敵・火雲邪神役。
いやぁそうですよ、全くその通りですよ。
この'70年代功夫映画の雄で最強を選ぶのであれば、候補として私だったら
倉田保昭大兄貴。
王羽(ジミー・ウォング)先生。別の意味で最強。
韓英傑(ハン・イェン・チェ)大家。もう他界されてらっしゃいますが、'70年代前半の功夫映画の象徴として私にとっては大変印象の残る人です。
他には
こんな人や(黄正利)
こんな人(黄仁植)もいますが、ちょっと畑が違うなぁと思います。
やっぱり梁小龍しかいませんよ、こりゃ。
'70年代前半で彼の超人的な足技にはどこの誰も追随が出来ず、その圧倒的実力についていけるのは倉田保昭兄貴1人でした。彼の残した功績如何も含め、武術家としての実力はNo.1だったのですから。
【彼の出演作レビュー】
「死對頭」
冒頭のチョイ役ですが、綺麗な飛び廻し蹴りが見られます。
「必殺ドラゴン鉄の爪」
「帰って来たドラゴン」
「無敵のゴッドファーザー/ドラゴン世界を征く」
「黄飛鴻四大弟子」
「燃えよ飛龍神拳・怒りのプロジェクトカンフー」('78)
意外と忘れがちですが、忘れちゃいけません。
ジャッキーと彼と田俊(ジェームス・ティエン)のトリオが主役の映画なのですから。
これも彼本来のキャラクターの魅力とアクションが十分発揮された作品です。ジャッキー作品なんだから日本でも早くもっと手軽に見られるようにしてほしいっす。
「激突!少林拳v:s忍者」
少林僧に扮して倉田兄貴とちょい戦うゲスト出演。
ちなみに未見ですが、梁小龍さんは本作にも出てくる十二路譚腿の使い手を演じる作品、タイトルもズバリ「十二譚腿」という作品にも主演されております。
■趙志凌
趙志凌先生!
豚小屋砦の仕立て屋さん。オカマチック。
先生をこの映画に呼んできたシンチーのセンスは抜群ですよ!・・・・・・抜群なのかな?まぁその辺が・・・いいや後にしよっと。
先生の凄いところは実際では高名な洪家家の師範として非常に有名で、まさに先生なのになぜか映画に登場すると最強の敵役などを与えてもらえず、さらになぜかコテンパンにやられてしまう中途半端に強い役柄が多いこと。昔から本当に憎めない良いキャラクターしてたんだよなぁ。
なので出演作品全部観たわけではないので不明だが、本作が一番カッチョ良くて強い役だったんじゃないかなぁ。ほとんどの人が先生の勇姿が頭に強く残ったんじゃないか。
本作で先生を初めて知った人には是非昔の先生の姿を見てほくそ笑んで欲しい。何気にジャッキーとの対戦も2回だ。
「クンフーできてどこが悪いのんッ♪」
とオネー言葉でナヨナヨ歩きの先生が最高。
ファイトシーンの迫力にまさに泣きそうでしたよ。
つーか俺、先生大好きになったな。
【主な出演作品レビュー】
「ブルース・リー物語」
香港最強の武術家として登場。 例によってトレーナーに馮敬文がついてることに注目。何宗道となかなかのファイトを披露。相手の足技にビクつくあまり、拳での攻撃を受けてしまってのびたくん。
先生〜!
「スネーキー・モンキー・蛇拳」
馮敬文道場の師範代として登場。 瓦割りを披露するも手を負傷してふーふーふー! その辺の爺ちゃん(袁小田)にも痛い目にあって、陳耀林にもボコボコと殴られる。
先生〜!
「Mr.ノーボディ」
「蛇猫鶴混形拳」
例によって馮敬文道場の師範代役。
馮敬文&先生の名コンビ!?
「滑稽時代 モダン・タイム・キッド」
「五福星」
見せ物功夫をバカにしていたところ、思いっきり後ろから岑建勳にゲンコツを喰らう(痛そ〜)。その後は岑建勳と追っかけっこ。
「ファースト・ミッション」
レストラン駐車場でジャッキーらと対決。 良い感じで攻めてたところを後ろからジャッキーにスライディングタックルされて蹴られて敗退。
先生〜!
「デブゴンの霊幻刑事」
・・・そうなのだ。
だからこそ!
本作でやっと!やっと!
本領発揮のお姿が堪らなく嬉しいのだ!
先生〜!
■馮克安(フォン・ハックオン)
はぁ・・・・・・・・
この人、紹介してると夜が明けてしまうような気分ですよ。一体何本彼の出演作品をレビューしただろうってそりゃ今508本目だからそれ以下なんだけどさ、それにしたってあんたは多すぎるよ。ここにも出てきますかほんとに。余りにも多すぎるので代表的なのだけにしておきますね。
あ、本作では琴を武器に戦う殺し屋"天地殘"で賈康煕と組んでいるのが彼です。
「少林寺・怒りの鉄拳」('77)
劇中何人もぶち殺し、2回も強姦する極悪な敵。
自慢の蟷螂拳を披露し良いバトルを見せる。
「燃えよデブゴン/友情拳」('78)
またも最強の敵を演じ、
自慢の蟷螂拳を披露し良いバトルを見せる。
「豪侠」('79)
前半のクライマックス、韋白(ウェイ・パイ)との死闘はベストバウトの1つ。
「ヤング・マスター/師弟出馬」('80)
「ポリス・ストーリー/香港国際警察」('85)
彼への印象はただ1つ。根強い。
功夫映画の重要なポイントとなってきた作品には全て出演していると言って過言でない。
功夫片の礎を成した「報仇」、
張徹監督日本公開作品「嵐を呼ぶドラゴン」、
武侠片ブームを巻き起こした「流星・蝴蝶・劍」
コメディ功夫の基盤となった「陸阿采與黄飛鴻」
サモハン監督の処女作「少林寺・怒りの鉄拳」
ジャッキー大ブレイクの「スネーキー・モンキー・蛇拳」
「ヤング・マスター/師弟出馬」「ドラゴンロード」
そして「ポリス・ストーリー/香港国際警察」と
彼の出演映画を見ていけばそれこそが功夫映画の歴史と言って良いだろう。
■ほか
ちなみに元秋(ユン・チウ)さんについては、fakeさんに先を越されたけどジャッキーが元奎(ユン・ケイ)と一緒にお風呂を覗いたエピソードがあって、被害にあったのが彼女。
十二路譚腿を使う行宇、五郎八卦棍の董志華、賈康煕については私は詳しく知らないのですので先のfakeさんところへどうぞ。
後は
(「激突!キング・オブ・カンフーより」)
袁祥仁(ユアン・チョンヤン)も出てるんですよねー
この映画、武術指導が袁和平(ユアン・ウー・ピン)、そしてゲスト出演袁祥仁、副武術指導には袁信義(ユアン・シュンイー)までが参加して結構、袁家班復活の映画だったりします。
他のキャストで注目は杜h峰(ジョニー・トゥ)作品で一躍注目を浴びる俳優になった林雪(ラム・シュー)のおっちゃんが斧頭会の幹部役で登場。出番はわずかでしたがその杜h峰作品からそのまま抜け出てきたような感じでしたね。
■豚小屋砦
功夫映画を見て誰もが思うことがある。
「中国人はみんな功夫使いか?」
色々象徴的な映画があるのだが、本来立ち回りというものは真ん中の主人公だけではなく、その主人公に蹴倒されていくヤラレ役の人こそがデキていないといけないわけで、それは日本のチャンバラでも勿論同じだが、功夫映画を見ているとその辺の市民で登場してた人が悪漢の暴力によって蹴倒されると派手にバック転して倒れたり、凄いスタントを見せて落っこちたりする。そんなこた普通の僕のような小市民には出来ないわけで、その辺で
「やられてる単なる市民も上手いじゃん!」
ってなるのである。
"中国人はみんな功夫使いか?"
ってのは短絡的でそんなら"ドイツ人はみんなビール好きか?"みたいなことになっちゃうのだが、もし・・だ。
もし、
"そんな単なる小市民が本当に功夫の達人だとしたら"
その辺で働いてた単なる労働者や畑耕していたおばちゃんが実は功夫の達人だったら・・・
そういった夢を叶えてくれるのが豚小屋砦である。
だからこそ
豚小屋砦の主要人物を思い出してもらいたい。
永遠半ケツ状態のブサイク青年や(「少林サッカー」から随分と大きい役をもらえましたね!)、もしかしたら本当は李健仁(リー・キンヤン)が演じる予定だったんじゃないかという出っ歯の女の子、ちなみに李健仁はシンチー映画でいつもオカマ役で登場してた人。今回は出ませんでしたね。紹介した3人の達人、そして大家夫婦。
どこを見渡しても美男美女がいないのである。
考えればすぐわかるが、これがもし大家夫婦が
狄龍(ティ・ロン)&楊紫瓊(ミシェール・ヨー)だったりしたら美男美女、しかも強そうで本当に強いし、第一
どう見ても小市民に見えないではないか
これだと困るのである。
さらに仕立て屋が劉家輝(ゴードン・リュウ)で(彼も洪家拳使いですから)、十二路譚腿が元彪(ユン・ピョウ)で、五郎八卦棍にそうだなぁ・・・于榮光(ユー・ロングァン)なんか持って来たらもっと困るのだ(それはそれで見たくなってくるが)。みんなスターの顔だもん。
だから・・・といったところでああいったキャスティングにしたのはよくわかる。それでこそ功夫の達人が潜む豚小屋砦だ。
そこで、もしこんな人も出演していたらという主にブサイク顔の功夫俳優を集めてみた。
【豚小屋砦にいるかもしれない達人たち】
"大細眼"
この人はいるかもしれないというよりも、
いなきゃダメじゃん
画面に出てこないだけで絶対豚小屋砦に住んでるって(いないいない)。ついでに魚頭允と杜少明でトリオ組むべし!
杜少明&蒋金
"蒋金(ジャン・ジン)"
まぁシンチーの相棒やってる林子聡(リン・ヅーソォン)と被ってしまうのが頂けませんが、デブ功夫は必要でしょう。彼はジャッキーとも数回戦ってますし・・・あ、1人は偽ジャッキーか。でも結構出来るんですよ。
"尹發(ワン・ファ) "
尹發!あははははは!!
俺書きながら一人で笑ってるよバカじゃないか、俺。
あ、功夫映画バカか。
"火星(マース)"
ありあり!
今こそ改めて真の力を!
"沈殿霞(リディア・サン)"
あははははは!!女デブゴン!
俺、遊んでるだけやんか!
デブばっか出してどうする!
・・・まぁもういいや、十分遊んだ。
また「喜劇王」が説明しやすいのだが、簡単に言えば
喜劇王に出てくる町人に功夫の達人が混ざる
それが豚小屋砦である。
それは本来周星馳が得意としている分野で、それに功夫の達人が混ざればさぞかし面白いものが出来そうだってのは全くであろう。
そういえばリスペクトなところで1つ。
冒頭にかかる曲、斧頭会の連中が現れる時に使われている曲は李小龍(ブルース・リー)「ドラゴン怒りの鉄拳」で李小龍が虹口道場で大暴れした後、
「俺たちは病夫じゃない!」
と言ってから流れる曲とほぼ同じです。
他にも殺し屋"天地殘"が奏でる曲には黄飛鴻のテーマ曲でお馴染みの"将軍令"のメロディが混ざっています。
■映画は一発勝負か?
さて、改めて本作への感想なんですがね。
こっからにんともかんとも難しいんだな。
"映画は一発勝負か?"
「ブレードランナー」のように公開時にはコケたが、後から評価が上がってくるなんてことはままあるし、そうとは言い切れまい。言い切れまいが一発勝負が大部分だと言うのがなおさら顕著なところだろう。
最初に観た感想が限りなく100%の自分の気持、ここからが重要なのだが、後から「この映画は実はああでしたこうでした」といくら理屈を付けようともだ、
最初に観た時の気持ちは気持ちだということだ
時間は遡れない。
そりゃ例えば「邪拳迫る!死守せよ少林秘伝」。
この映画は少年時代に観たのだが、
「なんか気持悪いなぁ」
という印象しか残っていなかった。
成人後に見返して見ると
「なんだ結構それなりに出来てるじゃんか」
とその印象は変わり、評価も変わった。
しかしそれと少年時代の気持ちは別物だということだ。
映画をデートネタの1つとしてか考えてない人、ミーハーな気分で観に行く人、興味も無いのに観に行く羽目になった人、その映画のリピーターにならない人の方が多いだろう。そうすればその評価は永遠に変わらない。
そういう意味では映画はやっぱり一発勝負なのだ。
ほとんどがOKでも、例えば本作でいうと
「唾かけたり小便かけたりがイヤだった」
とかそういうほんの1コマだけで、観客の評価点は下がってしまう。俺は「大醉侠」は好きな映画だが子役の程小東(チン・シュウトン)が殺されるシーンは嫌いだ。
そんなこと言ってたら全ての人間を満足させる映画作りなんかそもそも不可能である。
不可能であるからこそターゲットをどこに絞るのかがポイントになる。というところで本作は・・・・・・
■周星馳とジャッキー・チェン
この映画、もし私が監督だったらどうしたか。
・リアルな功夫アクションを目指す
この1点だろう。
でもさ、
そんなことできるわきゃない
考えてもみ、「少林サッカー」のような映画を期待されてハリウッドから金を出してもらい、世界各国全てのファンから「少林サッカー」のような映画を期待されて、題材が功夫で「超酔拳」のような映画を作ってどこの誰が納得しますか?
俺は納得するかもしれない?
いやまてよ、劉家良(リュー・チャーリャン)の最新作なら大納得するが、これは「少林サッカー」のあの後でシンチーの最新作だぞ?
本当に俺はそれで納得するのか?物足りなくないのか?
今これを読んでいるあなたはどうですか?
納得しますか?
そして、周星馳は納得しますか?
ターゲットが不明瞭なのだ。
如来神掌の大きな掌で広くターゲットを鷲掴みにしようとしたが、一指による急所のピンポイント攻撃の方がよりターゲットに深い致命傷を与えたのだろうか。
何と言ってもここが本作一番の失敗点である。
CG効果やワイヤーアクションを喜ぶ子供達がいただろうってのは容易に推測できるが、一緒になって喜ぶ俺はそんなにいない。
「あっ袁祥仁だ!よく見たら馮克安だ!」
と嬉しがる俺はいるが、嬉しがる子供はいない。
はっきり言って周星馳監督がそこら辺のところを整理しきれなかったのが正直なところだろう。そこら辺というのはこの映画の中にギューギューに詰まった功夫映画へのオマージュ、エッセンスのことでそれらを消化しつつ、自分独特の演出で物語を盛り上げ、観客が期待するアクションやコメディ、CG効果にも最大限に目を配る・・・
よく考えたら、そんなこと出来る監督が存在するのかって気もするのよ、だから!自分の心の中に評価したいって気持ちと「でもダメなとこはダメだし」って気持ちが再見DVDで格闘中ですよ。こんな難問に真っ向から勝負していったその心意気は大いに評価するが、答えは出せたか?って部分で出し切れてないぞと言いたい部分もある。
「リアルなアクションにすればよかったのに・・・」
と思うのは簡単だがそれが出来たのか?
出来たらとしたらそれで本当に俺たちは評価したのか?
ってところで同情の余地は少なからずあるのだ。
だって、そうじゃん。
幼き頃から功夫映画に親しんできた彼も功夫映画大好き人間の1人だよ、俺ら功夫迷の気持ちがわかってないわけがない。でも大勢の観客の期待には応えなきゃなんない。「超酔拳」は作れない。
余りにも大きくなりすぎた周星馳という人物の悩める問題は、ジャッキー・チェンが
「性格俳優やりたいがアクション俳優望まれてるし・・・」
と悩む姿とどうしてもかぶる。
それはこの本作を見るとさらに明らかだ。
「プロジェクト・イーグル」でジャッキー監督ワンマン映画は一応の終わりを見た、ように見えた。だが実際はその後も監督が変わろうともハリウッドに行こうとも、そのジャッキールールに乗っ取った映画作りには変わらなかった。
この流れには
ワンマン映画が大ヒット
↓
やがて下火へ
↓
新たな模索なかなか出来ず
ってのがある。
対してシンチーに関しては
ワンマン映画が大ヒット
↓
やがて頭打ちへ
↓
なんと打開!!
↓
すぐ頭打ち?
というところがある。
香港大ブレイク時代の「ゴッド・ギャンブラー3」や「詩人の大冒険」、「破壊之王」を見れば一目瞭然、これらで笑いを取り活躍するのは主にシンチーであり、彼の一人舞台である。
だがしかしそれが頭打ちになり、「喜劇王」では変わる。彼は物語の中心にいながらこの映画の主役は張柏芝(セシリア・チャン)をはじめとする小市民達である。俺は好きな作品だが世間的には失敗。
「少林サッカー」では誰にでもわかりやすいギャグと痛烈なアニメ的描写、そして主役面子を自分も含めて7人にすることで団体劇を成し得、大成功を得た。
「よっしゃ!このパターンでいけるぜ!」
・・・しかしながらですなシンチーさん。
次に選んだ題材が悪かった。
いや、自信があったからこそ挑戦したのだと思える。
仮に次回作を「少林野球」や「少林卓球」にしたところで大して成功したとは確かに思わない。
しかし"功夫"を題材にしたために、
メインテーマ+功夫+CG効果+ギャグ漫画描写=成功
この方程式が、
功夫+CG効果+ギャグ漫画描写=成功?失敗?
になってしまったのは間違いない。
こうなるとメインテーマは当然"功夫"。
最初の成功の方程式に比べ、値が一個足りない。
方程式は崩れているのだ。
この方程式を間違えなければ、今回も万人受けする大ヒット映画が作れたのかもしれない。
"功夫"は難しいでっせ。
その辺の野原とあばら家と台湾映画村さえあれば作れるってもんじゃ無くなりましたぜ。
その難題に挑戦したからこそ、
そしてその難題を盛り上げようとしたからこそ、
弊害が起きたのではないか。
つまり今回・・・
■つまり今回
この物語で一番余計なのは主役のシンチー本人である。
計らずしてというか、計ったが誤ってといった方が正しいだろう。
こうして考えてみると実に不思議だ。
なぜ始めからシンチーが豚小屋砦の住人でケチな青年ながら実は功夫の達人という設定にしなかったのだろう。
そうすれば物語の大筋である斧頭会との戦いに最初から参加して、3人の達人の死を見、大家夫婦が火雲邪神に敗北して、遂には怒りが爆発するシンチー流「怒りの鉄拳」にも成り得たのに。これだと大筋の中心で活躍するのはシンチーとなる。貧乏な少林僧が過去の仲間を引き連れてサッカーチームを結成し、優勝まで導いた「少林サッカー」と同じ大筋で行けるのに。
いや行けない。
ここにシンチー本人の功夫スターとしてのポテンシャルの問題が浮上する。
豚小屋砦の住人で最初から強いのであれば、最初から最後まで戦わなくてはなるまい。趙志凌先生や元華が活躍してもそれは同じだろう。
はっきり言ってそれじゃ見劣りするのだ
功夫迷にして本作一番の見所は達人3人の最初の大暴れシーンであり、クライマックスのシンチーvs梁小龍ではない。
シンチーに功夫の心得があるのは理解できるが、断じて功夫映画人ではない。功夫映画人の道を共に歩んで'70年代の香港で戦った歴戦のつわものたち、元華や元秋、梁小龍や馮克安や趙志凌先生とははなから違うのだ。
"功夫"という難題に自分だけで挑戦するには限界がある
それでも"功夫"を盛り上げれば今度は自分が霞む
だから・・・
といってひねり出した本作の大筋は
「少林サッカー」+「マトリックス」
である。
チンピラ目指してたショボい青年が覚醒し、ラストには救世主として降臨。
ラスト、斧頭会との「怒りの鉄拳」ライクな戦いの前、
シンチーが見せた悟りの表情に「マトリックス」のネオの姿を連想したのは私だけではない・・・はず。空を飛ぶ姿に私は如来神掌よりもネオを見た。だって、
梁小龍にはなれなくても
キアヌ・リーブスにはなれる
そうでしょ?
武術指導はあの3人の達人が戦う功夫迷感涙のシーンを演出した洪金寶(サモ・ハン・キンポー)ではなく、袁和平ですよ。
フィッシュバーンやキアヌ、さらには章子怡(チャン・ツィイー) を功夫スターのように見せかけることに成功したあの袁和平ですよ。経験のあるシンチーだもん、そりゃなれるわ。
シンチーが功夫スターになるには、
そしてこの映画が過去の轍を踏まないためには、
これしか方法が無かったのだ。
豚小屋砦の住人になれなかったことが証明している。
ともすれば、これは描写の比重問題になるのだが
主人公を中心にした物語を見ると
ヒロイン・・・にもなりきれていない聾唖の黄聖依(ファン・シーイー)とのやり取りも豚小屋砦とは無関係で寸足らずの蛇足、相方・林子聡とのやり取りも過去の名コンビシンチー&呉孟達(ン・マンタ)に及ばずこれまた不満足、そうなるとさらにその無駄に伸びた足が締めるラストもまた蛇足。
ラストは半ケツ青年がまたいつものように水の出ない蛇口でシャンプーしている姿が一番良かったと思えてくる。
主人公の物語自体がこの映画に不要なのだ。
物語の幹は豚小屋砦で主人公の物語が枝葉を成す。
そんな映画が他にあるだろうか?
い、いやそりゃあるんだろうけど本作にとってそれは決してよく育った枝葉とは言い難いものであっただろう。主人公が幹でなくてどうする。
トータルすると映画のバランスとしては成功していない。
ここは1つ見方を変えてみよう。
最初からシンチーは見ないで・・・思わず苦笑になるが豚小屋砦だけに焦点をあててこと細かく見てみよう。
セットから小道具から衣装からそこにいる住人から細部の細部まで凝りに凝った豚小屋砦の魅力を十二分に楽しむことが出来る。
夜中に薮蚊と戦っていたあの青年も功夫使いとして怪しんだりとか、羽毛作りの若者も、田んぼ耕すおばちゃんもワンポイントで登場する(あれはギャグだが)背の高い兄ちゃんも注目、途端に物語がとても面白いものに思えてくるはずだ。無理にでもシンチーも黄聖依もここの住人にするべきだったと思えてくる。
■かくして
紆余屈折の末、一大功夫絵巻は
主人公ではなく、脇を固めた功夫人がめちゃくちゃ輝く映画と相成った。
こここそ計らずとも、なのだろうが40代のシンチーから見ればまだまだ子供の黄聖依と恋をするシーンは場を盛り下げ、功夫人こそがこの物語を盛り上げた。
当時の功夫人たちが如何程にも素晴らしかったか理解できるではないか。
映画の良し悪しは各客人のご判断、
つまんないとそれが全てで終わる人もいれば
単純に面白かったと思う人もいれば
俺みたいにあれこれ思いを巡らす人と様々。
でもねでもね、
この映画やっぱり凄いと思うんですよ。
どっちやねんッ!!
って、今回の反省点は俺の文章がウダウダウダウダといったい結局全体何が言いたいんですかいな。自省しきり。うまくまとめられんかったスマヌ。
何が言いたいかと言われればですな、
fakeさんの特集を読んでくださいと言ったでしょ?
なにを知ってほしかったかと言うとですね、
3回にも分けて大特集を行っているというその事実なんですよ。
私もえらい長文になっちゃったでしょ?
そういうことなんですよ。
喋りたいんですよ、この映画について。
何だかんだ言っても功夫映画、武侠映画のエッセンスがたっぷり詰まったこの映画について、あーだこーだと思わずベラベラ喋りたいんですよ。
ということは、功夫映画好きの魂が十分に揺さぶられているってことですよ。
こんだけ揺さぶられてるということはやっぱりほぼ成功に近い作品なんじゃないかなぁ。
俺はこの映画、深く洞察もせず上っ面だけ書いて
「つまんなかった」
と切って捨てることはやっぱりしたくない。
いくら映画が一発勝負だって言ってもさ。
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以下、sigeoさんより頂き書き込みです。
ご投稿ありがとうございました。
皆様も参考にしてくださいませ。
その由来・・・
sigeo 投稿日:2005年8月4日<木>12時31分
お久しぶりです。
「功夫」レビューの休養が明けHPの再開楽しみにしておりました。私も、功夫映画ファンとして、そして修行者として今年一発目の映画は
「カンフーハッスル」でした!
ここでまた、なるこうさんへの感謝の解説として最も注目された洪家鉄線拳、の説明をさせていただきます
洪家鉄線拳は、元々黄飛鴻の学んだ「洪家拳」の技法ではなく広東十虎の首領、梁坤こと「鉄橋三」が僧「至禅師」から学んだ「短橋夾馬」の少林拳と数種の呼吸法(気功)から発展させた拳法で、武術高手の鉄橋三が官憲に捕まった時
手錠や縄ではなく、針金で体を縛られた所を、気合一つでこの針金を切って官憲をぶちのめしてしまったため、鉄橋三の使う拳法を
「鉄線拳」と言われるようになったのです。
やがて鉄橋三の弟子「林福成」(燃えよデブゴン7でフェイ・メイサンが演じてた乞食の老人。映画のラストでクアン・タクヒンが
”オーオー、プーシンコー(噫ー、噫ー、福成哥)と言ってましたよね)が大道芸をしてたとき武器の演武の際、見物人が怪我をしたのをたまたま通りかかった黄飛鴻がその見物人を治療したため、恩義に感じた福成は秘伝の鉄線拳を黄に伝え、家伝の洪家拳に鉄線拳が加わったそうです。
そしてあの鉄の輪は、両手にはめる為「鴛鴦環」7個ずつはめるため 「七星環」とも言われております やってみると解りますが
鉄輪をはめて拳を打ち出すと、勢いで鉄輪が前へガチャンと移動して背中や肩が伸ばされ、筋骨の鍛錬となるための器具です。
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Res:sigeo
題名:追加・・ 投稿日 : 2005年8月4日<木>14時54分
お次は五朗八卦棍の解説です。
暇に任せて、いろいろ調べたり師父の話を思い出したりした話を書いてみます。・・・(DVDのカンドーも冷めぬ内に) 要約すると、
中国で水滸伝の悪漢壱百八傑が暴れまわってた、北宋の時代(日本では平安末期)時の将軍、”楊継業”と言う武術家がいて、武芸十八搬すべてに通じていたそうです。
その中でも五男の”楊五朗”は棍術そして槍術に長け、戦争において四方八方敵に取り囲まれても、 八卦の運行に則り円を描き、棍を振り回すと、群がる敵があっという間に打ち倒されたため
楊五朗の使う技法を ”楊家五朗八卦棍六十四種技法”と称され有名になりました。(まず伝説でしようね)
やがて時はかなり過ぎて、流儀は転々として、ついに 福建へと伝わり、少林寺が清朝に弾圧焼き討ちを食らい 逃げ延びた、三徳和尚がそれぞれの得意弟子に1つずつ絶技を伝授
したそうです。高弟の一人、陸阿采が三徳和尚から伝授された極秘伝が、この”五朗八卦棍”でした。
やがて反清複明の志も同士の死と自分の重齢により、薄れ、武術の絶技も失伝の憂いを感じた時、一人の若い武術家”黄麒英”が弟子入りを申し出てきました。
聞けば、黄は薬問屋の豊かな家庭に生まれたが、青年から10年以上も武術に没頭するあまり 財産を使い果たしてしまい、薬草を取って糊口をしのぎ、村はずれの粗末な家が全財産でした。(異説あり)
流浪の身であった、陸には門人も多く この申し出を縁として受け拝師が許されました。 元々、貧しくても広州では、鉄線拳の鉄橋三や酔八仙拳の蘇乞倪(蘇化子)
らと並び証されるほど、著名な武術家であった、黄でしたから 陸の技術をすべて習得してしまいました。
やがて功成り、武館を構えたところ、金と言う地元の武術家と対決となったとき 金が武技が殺手があまた多く悩んでいた時、黄は病の床に伏せっていた
陸の所へ出向き、相談した所、黄に ”箸を持ってきなさい”と言い二本の箸で、黄に誰にも伝えていない 絶技”五郎八卦棍”を黄に伝授したそうです。
次の日、黄は衆人環視の中、金と立会い、黄は千変万化の棍法で相手を翻弄し、遂に金の胸を突き倒し勝ちを収めることとなりました。以来、五朗八卦棍の武勇は黄麒英の得意技となり、その技をもって”広東十虎”の一人となりました。
さらに、この決闘後、広東十虎の雛泰も絶技として、人に見せる事の無かった己の「雛家八卦棍法」と麒英の棍法が余りにも似てるため、
お互いの棍法を見せ合い、互いの優点を吸収して「五朗八卦棍」が完成したと言われています。
未見ですが、傳聲の遺作「五朗八卦棍」もこのあたりを映画化したものでは無いのでしょうかね?
Res:sigeo
題名:最後の追加・・
投稿日 : 2005年8月4日<木>16時53分
続いて、最後の解説「十二路潭腿」です この十二路潭腿と言う拳法は、中国では小学校の体育の時間にも教科として取り入れられたり
幼少から拳法の基礎として、最初に学ぶ拳法として 最もポピュラーな拳法です。(それだけに初学者用の地味でつまらない拳法練習とされてもおります)
起源の古い拳法であるため、諸説ありますが山東省龍潭寺で修行僧の護身として練習されてた拳法説や 臨済宗僧侶の間で練習されてた十二路の拳法説、
回族(中国系イスラム教徒)の拳法一派の説 面白い物として、東方系ペルシャ人が故郷のパルティア文字を型にして作られた拳法(確かに潭腿の型は横から見るとペルシャ文字に似てる)の説まであります。
最も確かな説は、回族のイスラム寺院で行われた拳法の一つとして 潭腿が最も練習されてる事実があります。技法は、弾腿(連続して出す前蹴り)や連環腿、廻転打、翻劈蓋打
飛天辺腿(飛び二段蹴り)など映画さながらのの技法が含まれており、地味ながらも、体当たり、肘打ちなども隠し技として、伝わってます。
なお、中国本土では戦前に実在した、南京中央国術舘と言う 中国全土から高手を集め講師とさせ、教習生を国民党の勇士、スパイ、武官へと養成する、学校でも潭腿は正式教材として採用されるほど、修行時、戦闘面などから観ても優れた拳法であります。
なお、何故十二路なのかといえば、元来潭腿は十路だったのですが 一月に一路を照って期に学ばせ、一年12ヶ月の短い期間で拳法を
完成させ、次の年から武器を学ばせるための教授内容のため 十二路へと変遷されたそうです。
以上参考までに書かせていただきました。
皆さんの手引きとなっていただければ幸いです。
ではまた
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