西遊記第壹佰零壹回之月光寶盒
Chinese Odyssey Part1 Pandra's Box
チャイニーズ・オデッセイ1 月光の恋
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面白いの一方でもぞかしいのだ。
周星馳(チャウ・シンチー)作品には得てしてそういうことが多い。
「カンフーハッスル」然り「喜劇王」然り「破壊之王」然り。
本作は西遊記を2部構成に渡ってお送りする一大巨編であるが、まさにこれももぞかしいのだ。
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流れ
悪さばっかりしてちっとも天竺旅行に協力しない孫悟空は如来菩薩に怒られて、人間にされて記憶を失い500年後に吹っ飛ばされる。
500年後。
荒野で山賊の大将をしていたシンチーは突如現れた謎の女にしてメチャクチャ強い藍潔瑛に子分からアジトから全てを牛耳られる。何とかして追い出したいシンチーであったが、さらに彼女の妹の莫文蔚(カレン・モク)が登場。
いつもの如く、一目惚れしたシンチーはアタック開始するのだがこの姉妹は何と妖怪であった。妖怪であっても結局めげないところが実にシンチーらしいのだが、ここに変な坊主が現れて
「っていうかお前も妖怪孫悟空だ」
と言われて鏡を渡される。鏡を覘くとそこには自分の顔ではなく孫悟空の姿が・・・
それでも信じられない信じたくないシンチーはめげずにアタック。
ほんま、たくましいな。それどころじゃない気もするのに。
カレンとの仲も深まり真昼間からエッチしようと思ったが服がなかなか脱げずに途中で醒めてしまうくだりが面白い。
その後も「俺が孫悟空じゃない!」とばかりにドタバタを繰り広げるシンチー。
つーか、いつになったら彼は孫悟空になるのだ!?
終劇
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ああ、もどかしい!!
いつシンチーがかっちょいい孫悟空として目覚めるのだろうと期待して待ってたら結局ならないでやんの!
確かにそこまでのドタバタは最早安定感をいうものがあり、笑ってみていられる楽しいものであるがいい加減早く孫悟空になれっての!
というわけで、シンチー映画にはもぞかしさを感じることが非常に多いのだ。
「カンフーハッスル」は最後の最後まで覚醒しないし、「破壊之王」も最後の最後まで強くなったんだかなってないんだか。「新精武門1991」でも強くなりたい割には最後まで強くなったんだかなってないんだか。スッキリするのは賭神シリーズぐらいか?
決してこの作品も悪くない。
呉孟達(ン・マンタ)とのいつもの掛け合いはさらに面白いものになっているし、恋のドタバタ大作戦はいつもの通りに面白い。しかし「西遊記」的なカタルシスとは全く無縁の作品でチャイニーズオデッセイというのはちょい力負けではなかろうか。とりあえず後編に向かおう。